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背理法の落とし穴

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§1. 背理法とは
§2. AとAの否定の両方を仮定してしまう
§3. 屁理屈をこねる人
§4. 木を見て森を見ない人

§1. 背理法とは

A が正しい(真である)ことを証明するには、A がマチガイ(偽)であると仮定すると矛盾が生ずることを示せばよい。この方法による証明法を背理法という。

「もし A でないとしたら、……となるから、おかしいじゃん。だから A なんだよ。」という論法だから、分かりやすいと思ってしまうが、そうでもない。
誤りを犯す数学教員が意外といるのである。
そんな誤りの例を2-3 挙げる。
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§2. AとAの否定の両方を仮定してしまう

A が成り立つことは数学教員としては自明だ。それまでの論理展開の中に A が成り立つことは含意されている。そこをあえて A の否定を仮定して論を進めているうちに、ウッカリ A が成り立つことを使ってしまうという誤りを犯しかねない。

【例】 $\sqrt{2}$ が無理数であることを証明する。そこで、$\sqrt{2}$ が無理数でない、すなわち有理数であると仮定する。すると自然数 $m,n \neq 0$ を使って

$\sqrt{2}=\frac{m}{n}$

となる。両辺を 2乗して 4倍すると

$8=\frac{4m^2}{n^2}$

$\Rightarrow \sqrt{8}=\frac{2m}{n}$

これは $\sqrt{8}$ が有理数であることを表しているので、矛盾である。よって $\sqrt{2}$ は有理数でない。

上の証明のどこが誤っているかと言えば、もちろん $\sqrt{8}=2\sqrt{2}$ が無理数であることを使っている点である。これが無理数であるのは、$\sqrt{2}$ が無理数であるからだ。それはまだ証明してない事項だから、証明の中で使ってはいけない。

上の例は、証明自体が短いからすぐ誤りが分かるだろうが、長い証明になるとついウッカリこれに類する誤りを犯しかねない。

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§3. 屁理屈をこねる人

前節で述べたように、背理法では A の否定を仮定して、A そのものは仮定してはいけない。
A の否定だけを仮定するのかというと、そうではない。A を仮定することは厳禁だが、それ以外の公理やそれまでに証明した定理は使ってよい。場合によっては参考文献に載っている定理を援用することもあろう。

そこで、「A を仮定する」以外のことだったら、何を仮定してもいいのだ、屁理屈でも仮定していいのだと勘違いする数学教員が出てくる。

例えば、数列に関する証明で、ありもしない数列をでっち上げる。例えば極限値が $0$ でないが、和(級数)が収束するような数列を作る。これを問題になっている数列と掛け合わせて、矛盾を導く。この論法は誤りである。

なぜなら、屁理屈(偽なる命題)を仮定すると、どんな結論を導いても真になってしまう。つまり命題 $P$ が偽であれば

$P \Rightarrow Q$

という命題は真になるからである。

屁理屈をこねていいことになると、簡単に A であることが証明できるが、A の否定も証明できてしまうのである。
背理法なら屁理屈をこねていいという道理にはならないのである。

しかし、現実にはそんなことはよくある。相手の言っていることに反論しようとして
「あんたはそんなこと言うけどね、でも ……(屁理屈をこねる)だから、あんたの言うことはおかしいんだよ」
という論理展開をする論客は数多い。

ところで昔は背理法は帰謬法(きびゅうほう)と呼ばれた。誤謬(矛盾)に帰着することによる証明法という意味である。「謬」の字が当用漢字でないために背理法の名に統一されたのだが、たしかに背理では、理屈に違背した方法と解釈し、屁理屈をこねていいのだと曲解する人が出るのも致し方ないのかもしれない。

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§4. 木を見て森を見ない人

実数全体の集合は可算ではない。それを証明するにはカントールの対角線論法(背理法の一種)を使うのが常道だ。
実数全体の集合は可算として、論理を展開し、50行で証明を終えたとしよう。
それの13行目におかしなこと(偽であること)が書かれている。
それはマチガイを仮定した論法なのだからおかしなことが出てきて当然なのだが、ある人は13行目で証明が間違っていると言うのだ。証明の筆者はあからさまな矛盾に逢着するまであと37行頑張るのだが、その人は13行目が間違いだからこの証明は誤りだと言うのである。
13行目の矛盾をまだあからさまでないとして、50行目まで頑張っていることが理解できないのである。
この手の人にかかると、すべての背理法は誤りとなってしまうであろう。

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