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ラプラスの悪魔(魔女)とは
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『ラプラスの魔女』
は東野圭吾作の小説で、
映画化され櫻井翔と広瀬すずが主演している(2018年、三池崇史監督作品)。
ラプラスの悪魔は、過去の出来事をすべて知り、未来についてもすべてを予測できる能力を持っており、彼にとっては○○が起きる確率はゼロか1かのどちらしかない。それをラプラスは
ある知性
と呼んでいる。(ラプラス著『確率の哲学的試論』岩波文庫 p.10)
私なら「全知全能の神」と呼びたいと思うが、このような人間の自由意思を認めない存在はキリスト教的には神ではないのかも知れない。
我々が確率を使うのはラプラスの悪魔ほどには知識がないからである。人間界の知識、学問が発達すれば、確率はすべてゼロか1のどちらかになるだろう。
ということで、我々の所有する知識の量、情報の量により確率の値は変化する。ラプラスが前掲書で例に挙げているのは次のような問題である。
【問題】 白玉2個、黒玉1個があり、それが3つの壷に1個ずつ入れてある。
(1) 壷Cの中に黒玉が入っている確率を求めよ。
(2) 壷Aの中を見たら白玉が入っていた。壷Cの中に黒玉が入っている確率を求めよ。
(3) 壷AとBの中を見たら両方とも白玉が入っていた。壷Cの中に黒玉が入っている確率を求めよ。---
答はもちろん (1)1/3, (2)1/2, (3)1 である。これは条件付き確率であるとも考えられる。
ふつうの意味での確率も、制約条件が一切ないという条件の下での条件付き確率と考えれば、確率はすべて条件付き確率なのだ。
ところで、ラプラスはラプラスの悪魔が実在すると思っていたのだろうか? そうではないだろう。確率という概念が必要だということを言いたいがために、人間は全知全能でないから必要なのだ、と言いたかっただけではないのか。ラプラスの悪魔が実在するとはサラサラ思っていない、と前掲書を読む限りでは思う。
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